『安倍晴明と陰陽道展』
〜郡山市立美術館〜

チラシ表 7月の京都での展覧会の後、
福島県の郡山市立美術館でも同展が開催された。
『薄皮饅頭オフ』と称し(^^)、T亭ご一行様に同行した。

チラシ裏
* * *

2003年10月5日(日)、福島県の郡山市立美術館において開催された『安倍晴明と陰陽道展』見学に合わせて、某HPのご亭主さまをはじめとする方々とのオフ会に参加した。名付けて『薄皮饅頭オフ』(笑)。どなたが付けたかステキなネーミング♪ 参加人数は私を入れて5名。

今夏、京都で開催された展覧会とほぼ同じ内容なのだが、郡山市なら車で行ける距離だし、2回見てもいいだろうと思い、行くことにした。それに岡野さんの原画は「よほどのことがない限り、以後出品はない」とのことで、『陰陽師』に出会うのが遅かった私としては、可能な限りの接触をしておかないと後々悔いが残りそうで。

当日、東北道を車で北上。美術館レストランにて他の4人の方々と会う。“たちはな亭”ご亭主たちはなさん、Wさん、Sさん、そして人形の時代衣装を創っておられる“御匣殿”のしらゆきさん。皆さんとても気さくな方々で、私の緊張もすぐに解ける。食事をしながら皆さまからのお土産やらお宝やらを堪能。それにここのレストランのお料理、なかなか美味しい♪

お腹がご機嫌になったところで、この展覧会でのもうひとつの目的、天社土御門神道本庁長・藤田義仁さんの講演を聴く。京都の時は講演を聴けたのは抽選で当たった人だけで、私は見事にハズれてしまい悔しい思いをしていたが、本日は誰でも入場できる。会場は狭いが、150人くらいは入っているだろうか。満席。
京都での講演を聞かれた方や、それについてのレポートを見聞きしている方、また、ここ郡山の講演会レポも既に他の方がHPなどにアップされているので、既にご存知のことばかりかと思うが、以下に藤田さんの講演内容を簡単に箇条書きしてみた。


●天社土御門神道本庁長 藤田義仁氏講演メモ

 安倍晴明公は、土御門神道においては“ご先祖の神様”。
(藤田さんは講演会の特質上“晴明さん”と仰っていたが、本来は神様。そのような呼び方はされないとのこと。以下、この文中では敬称略。)

 小説や漫画、それはそれの世界であってよいが、そうではない、本来の陰陽師・陰陽道の姿をしっかり見てもらいたい。

 昨今の陰陽師ブームにより、天社土御門神道は様々な被害を被った。それは「土御門」や「陰陽師」を名乗り、詐欺を働く輩が出てきたために。現在も“土御門家”は続いているが、その名前で表に出ることはない。電話帳にも載せていない。したがって“土御門”と名乗る人はニセモノであるので注意して欲しい。

 晴明が仕事をしていた「陰陽寮」というところは、現在で言えば文部科学省にあたるものである。つまりそこで働く人は国家公務員であり、当時、畿内外に出るには許可が必要だった(延喜式に書いてある)。そして仕事は、天皇や国家に関することを占ったり、様々な行事を行ったりすることであった。

 晴明はもともとは安倍家の支流の家柄だったが、晴明公850年祭以降の資料から本流に組み込まれている。つまり、晴明の出自は『今昔物語』や『大鏡』など、諸々の物語から逆に資料化されていることが分かる。

 陰陽師の重要な仕事、それは「季を読む」ということ。それは何千年何百年単位で見ることもあるし、もっともっと細かく見る必要があったりもする。
その中の「暦」、現在は例えば「体育の日」を第二月曜にしてしまったりと、暦上の日付を都合のいいように変えてしまう。しかし、物事にはそれぞれきちんとした理由がある。元々10月10日の「体育の日」というのは東京オリンピックの開会日である、とか。
変えてもよい、変化があっても仕方ないが、その元々のところを忘れてはいけない。忘れさせてはいけない。
「暦」というものは1秒1秒、生活の中に生きているものである。


『陰陽師』8巻で晴明が博雅と共に祈雨のために都から遠出をするが、その時もちゃぁんと帝からお許しを得ている(博雅クンが文のお使いをさせられている(^^;)。


明治以降、土御門神道の存続はご多分に漏れず大変だったらしい。藤田さんもいろいろご苦労もあったようで、そんなこともあまり隠さずに話されるところは藤田さんの嘘のない、ざっくばらんなお人柄の表れなのだと感じた。
土御門神道は所謂「宮廷陰陽道」を受け継ぐ唯一の存在として現在に至っている。急激に押し寄せた「陰陽師」「陰陽道」ブームにも翻弄されないよう足を踏ん張り、その中で陰陽道の真の姿を知ってもらえるように努力をされている藤田さんのお姿は、激流の中に身を横たえながらも決して流されることのない、土に根をしかと下ろした一本の葦のようにも思われてくる。


この藤田さんのレポを、ご一緒したたちはなさんしらゆきさんもアップされているので、そちらもどうぞご覧ください(^^)

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さてさて、こちら郡山展の方は現代的な美術館のつくりに合わせた、シャープで美しいチラシ&内装外装&展示だった。チラシ写真はこのページ一番上にあります。
私は特に美術館内にあった呪符(このページの背景に設定)の書かれた赤い柱がお気に入り♪

京都展ほど混雑していないのでひとつひとつじっくり見ることが出来た。国宝の『御堂関白記』も、「なるほど〜、陰陽師か誰かが書いた暦の間空きに日記を書いたのねー。ってことはこれは藤原道長の直筆?!」「いやー、誰かに書かせたんじゃない?」などとみんなで感想を述べながら見て廻る。日記中に「晴明朝臣」という文字が見える。この展覧会に先立って9月に開かれた大阪の信太の森でのフォーラムで得たこと、「晴明は橘氏の出であるから“朝臣”と呼ばれる」。なるほどなるほど、と確認。

それにしても、私たちが目にしているのは千年前に書かれた日記。漢字ばかりだがゆっくり読むと大体のことは分かる。じっくり読んでいると、千年という時間の隔たりは全く感じられなくなってゆく。「晴明朝臣」とそこに書かれた晴明は、道長と共に実際にその時を生きていたのだ…。

他の展示物では重要文化財の『不動利益縁起絵巻』や『泣不動縁起絵巻』に描かれている角盥(つのだらい)の妖怪やら毛むくじゃらの妖怪やらに見入る。何とも言えずカワイイ。この絵を描いた人も楽しみながら描いたんだろうなー、と思う。だって彼らは活き活きしてる(笑)
当時の人々は実際にこいつらを見てたんじゃないかなー、と思えてくる。

球体に赤や黒のプチプチでちょっと立体的に星を配した『天球儀』では、星座を確認しようとしたが、昔と今の星座は違うので(東洋と西洋の星座の違いネ)なかなか分からない。私は結局ひとつも分からず終いだったが、天文好きのSさんは分かったようだ。ううむ、私も昔は天文少女だったのだが…。

最後に岡野さんの原画コーナーをじっくり見て終了。もうこの美しい『陰陽師』の原画を見ることはできないのか…。
時代衣装をつくるしらゆきさんは映画『陰陽師2』の衣装をじーっくり見ていた模様。

こうして郡山美術館『安倍晴明と陰陽道展』を見終わり、名物薄皮饅頭をしっかりお土産に買い、『薄皮饅頭オフ』は終了したのであった。


(2003.10.5訪/11.30記)

郡山市立美術館


晴明展入口
郡山夕空

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