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所在地:新宿区歌舞伎町2−17−5
祭神:宇賀能御魂命(ウガノミタマノミコト)
鬼王権現―月夜見命(ツクヨミノミコト)
大物主命(オオモノヌシノミコト)
天手力男命(アメノタジカラオノミコト)
境内社:三島神社、浅間神社
よく晴れた3月21日早朝、まずは稲荷鬼王神社へ。
「承応2年(1653年)大久保(地域)の聖地とされたこの地に稲荷神社を建立。天保2年(1752年)紀州熊野より鬼王権現勧請。しかし今日、紀州熊野に鬼王権現は現存せず、当神社のみが全国で唯一「鬼王」の名を持つ」
(稲荷鬼王神社由緒より抜粋。由緒書きには追記として「文書には残っていないが平将門公(幼名:鬼王丸)に所縁があったのではないかとも言われている」とある)
新宿歌舞伎町、しかも二丁目。そんなビルの谷間に稲荷鬼王神社はあった。
狛犬の姿が面白い。裏手に浅間神社。参拝し、探索し、写真を撮り、由緒書きと御朱印を貰い、そろそろ次の神社へ、という時に竹内さんからの質問。
「ここの御祭神は何だかお分かりですか?」
「えーっと、稲荷だから宇賀能御魂命?」
「ではここの御神紋は?」
「…?」
「稲です。稲の紋を持つ氏族、それは…秦氏。」
うわっ!…迂闊だった。今回のツアーは平将門や藤原秀郷などのことだけかと思っていた。が、歴史はそんな単純ではないのだと、竹内さんのこの一言は語っていた。歴史の中でそれぞれは何らかの繋がりを持ち、表立ってはいないものが思わぬところで鍵を握っていたりするものなのだ。
それにしても私にとってはこんなところで思いがけず秦氏。秦氏は遥か昔から日本の歴史の随所にその痕跡を残し、専門家でなくともその足跡を追ってみたくなる謎と魅力を持つ氏族であり、実際、数え切れない人々が今も尚、その謎を追い続けている。私も昨年の京都探訪以来、秦氏が妙に気になっていたので(木嶋神社の三つ柱鳥居・秦氏にまつわるトンデモ本は読んでいた。その本との出会いも妙。でもその話はまたあとで)、こんなところで秦氏と再会を“果たし”、これはますます秦氏のことを調べにゃあ、という気持ちにさせられた。
(後日、竹内さんのHPを読み返してみたら、秦氏の家紋は稲だとちゃんと書かれていた。トホホ。情けない私。)
そして一行は歩いて次の鎧神社へ。
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(2003.3.21訪)
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