所在地:新宿区北新宿3−16−18
祭神:日本武命(ヤマトタケルノミコト)
大己貴命(オオナムチノミコト)
少彦名命(スクナヒコナノミコト)
平将門公霊
境内社:天神社、稲荷神社、三峯神社、子の権現 |
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「醍醐天皇の御世(898〜929)、鎧神社近くの円照寺の創建譚に“行基作と伝える薬師如来像をこの地に安置す”とあり、その同じ頃、円照寺の鬼門鎮護の神祠として祀られた」と鎧神社発行の縁起に記されている。
由緒書きには伝説もいくつか書いてあり、“日本武命が東征のおり、甲冑をここに納めた”。また、“平将門公を追慕する者たちにより、公の鎧がここに埋められた”。さらに、“将門の残党を追ってこの地に至った藤原秀郷が病を患い、これは将門公の崇りであると思い至り、円照寺に参詣し、公の鎧を埋め霊を弔ったところ病は癒えた”。などさまざまな言い伝えがあるようだ。
この由緒書きを読んだ時、頭の中にハテナ?が浮かんだ。公の鎧を埋めることに関して、将門側と秀郷側、両方の言い伝えがある??なんかヘンだなぁと感じつつも歴史に疎い私はそれが何でなのかまだ分からない。単なる民衆心の表れ方の違いなのか…。
ここの境内社である天神社の狛犬もまた変わっている。これは狛犬型庚申塔だそうで享保6年(1721年)の造立。庚申塔なので猿なわけであるが、その形状は狛犬の阿吽形。でも顔かたちはお猿。
庚申信仰も様々な神仏と結びつき、ひと括りでは語れないものであり、こういったものにも時の政治や宗教の支配と密接に繋がり、隠された何かが潜んでいるのかもしれない。(これを読んでいる方はもうそんなことご存知なのかもしれないが…。) |
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鎧神社の右隣にはこんな名前のアパートが(さんずいですが)→ 思わずパチリ(^^;)。 |
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(2003.3.21訪) |