大江戸北斗七星ツアー


【序】


 2003年3月21日、HP「闇の日本史」の竹内さん主催の平将門をめぐる「大江戸北斗七星ツアー」に参加した。遅れ馳せながらではあるが、それに参加した私のツアー探訪記を記そうと思う。
 本来ならばツアーで巡った各所の絡みから、歴史の表立ってはいない流れを読み取り、底辺に横たわる様々な疑問を呈したいところだが、申し訳ない、今の私のアタマでは“探訪記”がせいぜいである。
 そしてこのツアー名について。なぜ“北斗七星”か、という疑問に的確に答えることも私にはできない。ただ北斗七星は古来より妙見信仰と重なり、将門の霊を封じるためにも使われたとしか。それに答えるには様々に張り巡らされた糸の、それを吐き出す見えざる蜘蛛の存在を闇の中に描き出さなければならず、しかし私にはその技量は残念ながら未だない。今はその作業はツアーに参加したその他の面々に、またはこれをお読みの皆さんの手に委ねようと思う。

 ツアーに参加された面々は、このツアーの主催者であり、ご存知の方は多いであろう、HP「闇の日本史」竹内さん、歴史データ量は溜息ものの巳埜さん、HP「黒猫院」宮毘羅さん映像作家のてっちゃんさん、そして私、五五の5名。

 1年前まで歴史には全く興味のなかった私がよもやこんなツアーに参加しようとは、人生何がどうなるか分からない。
 岡野玲子版『陰陽師』からハマり込んだ安倍晴明についてインターネットで検索中にHP「闇の日本史」を知ったのがそもそものきっかけなのだが、ホームページを開けた時の印象は「こ、怖い…」(笑)。タイトルデザインにも尻込みしたが、当時はまだ本文が黒地に赤文字だったせいもあり、おどろおどろしさに(失礼)ちょっとたじろいだ。
 が、中身を読むうちに「ふむふむ」「ほー」「へぇ」「えぇぇ?!」と、その内容の濃さ、その面白さにどっぷり浸かってしまったのである。それから掲示板にも時々書き込ませていただくようになり(私の書くのはもっぱら挨拶とかちょっとした質問とかその程度であるが)、この度のツアー参加と相成ったわけである。

 しかし、私の歴史知識は皆無である。平将門についてはおろか、氏族系統やその時代背景も何も知らない(私の場合、平将門=「風と雲と虹と」の加藤剛(笑))。
 竹内さんが選んだ都内各所の史跡を巡っても、私の場合、アタマも目もぐるぐる回るハメになるのはハナから分かっている。参加しようかするまいか直前まで思い迷ったが、とにかく行動してみるか、と意を決して参加表明。主催の竹内さんをはじめ、ツアーに参加される方々とももちろん初対面。ツアーは竹内さんの東京滞在期間21日から23日までだったが、私はそのうち初日の21日のみに参加した。

   その前にほんの少しでも何かアタマに入れておくべきと、私は加門七海著『東京魔方陣』を図書館から借りて読んだ。図書館では何故かその一冊しか手に取れなかったのだが、その本を読んで驚いた。武蔵野に張り巡らされた魔法陣の中に、私の田舎近辺の神社が2〜3入っていたのだ。歴史に疎い私はそれら史跡についての由緒なんて考えたこともなかったが、しかし、こんな風に見知った史跡が目の前に現れると、ツアーに参加する心持も当初より力が入ってくる。まあ、力が入ったからといってそう簡単に蜘蛛の糸が見えるようになるわけはないのだが…。
 そしてこれからお読みいただくものは先にも言ったが、そんな歴史初心者の私が書く、大江戸北斗七星ツアー“探訪記”である。無知なるが故の珍問・愚問なども処々にあると思うが、皆様にはどうぞ寛容なお心で接していただけたらと思う。
 尚、膨大なる歴史の前でアップアップしている私にワラでも投げてやろうという奇特な方がいらっしゃったら、どうぞ投げてやってくださいまし。

 ともあれ、2003年3月21日、「大江戸北斗七星ツアー」は始まったのであった。


   ※ 祭神名・漢字・読み仮名は各所「由緒書き」等によるもので、読み仮名の
    振っていなかったものは通例となっている読み仮名とした。

   ※ ツアー前後に読んだ、現在の私にとっての参考文献
     『平将門魔方陣』 加門七海(河出書房新社)
     『大江戸魔方陣』   〃     〃
     『東京魔方陣』    〃     〃


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