【日々のつぼやき】

浜で食べるさざえのつぼやき、好きです(アワビもエビもetc..)(^^;
どんなものでも、そこで採れたものはその土地で食べるのがいちばん。
そんな感じで、その時々の場所・時間に感じたことを
そのまま書き留めていこうと思います。

* * *

【つつじ】
2008.4.24
ここに書くのは随分と久し振り。
ブログは書いているけど、大きい写真を貼るのが面倒なので、山つつじの写真をこちらに貼ります。

この山つつじは私が小学1年か2年生の時に山から採ってきたもの。その時はひょろっと小さかったのが、30年以上経ってこんなに大きくなりました。毎年山ほどの花を咲かせてくれます。ちょうど台所の窓から見えるので、朝いちばんに、このつつじのピンクオレンジの花を眺めて癒されてます。

毎年、花を咲かせ、葉を繁らせ、枝を伸ばし、葉を落とし、また花を咲かせ・・。
その繰り返し。ただそれだけ。すごいなぁ・・。

人もまた、おなじ。

山つつじ

【音】
2006.5.29
胃を壊した。
一昨日の午後、突然胃がギューッと痛んだ。冷えのせいかと思ったがいつもとどうも違う。強い痛みは1時間程で治まったが、その後も思い出したようにギュッと痛む。
そういえばここ2ヶ月ほど、やらなきゃならない事に振り回されて「もう休みたい…」と心底疲れてきていたのだった。そこにきて職場のオバチャンとの相性の悪さが再び噴出し、それが大きなストレスとなったようだ。おかげで昨日と今日のまる二日、ほとんど横になって休んだ。肩も凝るし頭痛もするし。まあそのお陰で大分良くなったが。

それにしても胃に来るとは。実は胃がこんなに痛んだのは冷えの下痢以外では初めてなのだ(それは腸かな?)。肩凝りで気持ち悪くなることはよくあったんだけど、身体がこれほどハッキリ痛んだってことは相当ストレス溜めちゃってたんだね。ごめんね〜、私の胃。こんなこと二度とないように感情を溜め込まないように気をつけるよ。

イヤな事があったらその都度、声として外に出すこと。それが歌になる時も多いね、私の場合。辛い時とか、つと歌が出てくる。歌うことで気持ちが慰められる。楽になる。あら、音で楽になる。なるほど。
まあ、歌を歌えとは言わないが、ホント、感情を溜め込まないこと。その都度、何らかの音、または声として外に出すこと。これ、大切アルヨ。

で、久し振りに『music for 陰陽師』のCDを聴いたアルヨ。 音は、全てを解き放つ。

くりりん

【古河】
2006.5.22
もう一月前になるが、4月17日の月曜日、母と一緒に栃木県の太平山神社へ行った。
桜祭りは前日までで終わったらしく、参拝客も観光客も少なめだったが、今年は4月が寒かったせいもあり、枝にはまだ桜の花が結構残っていて美しかった。
ずーっと昔に参拝に訪れたことはあるのだが、その頃はただみんなと一緒に来てみたというだけで、神社の様子も「あれ、こんなだったっけ?」というくらいの記憶。山肌に建てられているので境内は結構狭い。チャボが数羽、自由気ままに歩き回っている。ご本殿前には大きな鋳物の鈴が三つ、掛かっている。天明鋳物だ。そしてその鈴にはその地方の方々からの奉納らしい、大きく「古河」の文字が。うわ、こんなところで「古河」かぁ。

2年ほど前、東京での用事の帰り、いつものように電車内で本を読んでいた。本から顔を上げて「あ、私の好きな利根川だ♪」と見るといつも見る風景とちょっと違う。「う、やってしまった…。」乗換駅で全く気付かず乗り過ごしてしまったのだ。
快速電車を降りるとそこは古河駅。そう、古河。古河駅は高架になっていて、ホームからは筑波山や遠く日光連山も見える。その日は雨が降った後だったか、風が吹き、低い雲や高い雲が美しく入り乱れ、沈む太陽が金色の輝きを放っていた。
「そういえば『陰陽師』と出会ってからいろいろな事があったなぁ。」次の上り電車を待つ間、流れ行く雲や山々を眺めながらホームの端にたたずみ、それまでの1〜2年のことを思い返したりした。『陰陽師』と出会って以来、私の中で『陰陽師』や岡野さんの言葉(インタビューやメッセージなど)はとても大きな割合を占め、私の考え方や感じ方、趣味に至るまで様々なものに多大な影響を及ぼしてきた。「その影響って凄いよなー。…で、私はそれでどーなんだ?」みたいな、何かポカーンとした疑問のようなものを、暮れ行く古河の空を眺めながら感じていたりした。

あれから月日は経ち『陰陽師』は完結したが、共鳴したその振動はずっと続いている。『陰陽師』との直接的なものも時にはあるし、一見全く関係なさそうなことにもその音は重なり合っている。それは他の音と同様、これから先もずっと消えることはない。

※ちょうど岡野さんが故郷である古河について書かれた記事をウェブに載せられた時に「古河」の鈴を目にしたので、ちょっとシンクロして2年前のことを書いてみました。



【2006年、立春】
2006.2.4
今日は立春。春の気立つ日。新しい年の始まる日。
なのにこの寒さ。それに加えて今日は自分の笛の力不足を実感させられてしまった。そうそう、私ったらここのところ全然身を入れて笛を吹いてないし、学習もしていなかった。合奏練習で新年早々、落ち込んでしまったよ。。
でもこれは私にとっては自分自身に対する良い気づきとなった。ここではその内容は書かないが、こうしたひとつひとつが私の経験となっていく…。初めは「あ〜あ、年初からコレかよ…」と落ち込んだのだが、後になって「年初から気づけてヨカッタ」って思えたさ。
すべては、経験と気づき…。
それと、私は何で笛を吹いているのか、何で雅楽というものをやりたいと思っているのか、今の自分の心に問うてもみた。――うん、そう、忘れないで、私。心の奥にある透明で美しいそれを、――ね。

同じ立春に更新されたOGDOADの岡野さんのメッセージの中に「月の停止」という言葉があった。私は「ジョナサン・ケイナーの西洋占星術」のHPでそれを知っていたのだが、知ったのは最近で、しかも初めて聞くものだった。そしてそう、岡野さんが書いてらっしゃるように、昨年末の月はとんでもない北寄りから上り、天空高く銀色の光を放っていた。それが今年の6月には南に一番低い高度となる。その白道の最大振幅期が18年半に一度起こり、それを「月の停止」というのだそうだ。(それが何で“停止”と呼ばれるのだろう?)そしてその影響(詳しい事は私はまだよく分からない)が最大になるのはその6月頃だそうな。
今は私はその事については殆ど何も分からないが、きっとこれからいろいろと情報が入ってくるだろう。楽しみであると同時に、自分の身にも心にも余分なものをくっつけておかないように気をつけなきゃ、ね。

さて今年、私はどんな一年になるのかな。 楽しみにしていよう。



【思い、どおりに、なる】
2004.9.18
ダンスの夢を見た。自分が踊っている夢は初めてだ。
ピアノの音とともに踊る私。
五五は昔、故・古川あんずさんや勅使川原三郎さんのワークショップを何度か受けたことがある(お二方から、五五は多大な影響を受けた)。といっても私は素人だが。
今私は踊ることはないのだが、踊ることと生きて行くことは同次元のもので、ダンスする、ということを失ったわけではない。

ま、でも今回はダンスの話ではなくて、やりたいこと、に関する話。
今回見た夢は、前後の他のシチュエーションの夢とも合わせて、私がやりたいことを心に素直にやっている、という内容のものだった。
実はここ半年、いやいや一年あまり、私は自分の環境や状況に随分と悩んだりして、やりたいことに顔を向ける気力すら失せている状態が長く続いている。まあ時々は気力に充ちることもあったにはあったのだけど、それはすぐにしぼんでしまっていた。
それで今朝の夢。
覚めてからも、あの余分なもののない、自由な感覚をはっきり思い出せる。
これは、今、私が求めているもの―。

この前、久し振りに一眼レフカメラを手に取り、入れっ放しの残りのフィルムで数枚、部屋の中のものを撮った。その数枚とともに一年以上前に撮った写真も一緒に現像されてきた。
「ああ、この感覚。。」
ずっと忘れていた、ずっと仕舞いっ放しにしていた感覚が身体の中に蘇る。。

私は写真家ではない。ただ、その時々の気持ちのままに写真を撮るのが好きなだけ。でもそれらの写真には私の持つ感覚がそのまま現われている。
そう、それを味わうことが好きなのだ、と思う。被写体にピントを合わせる時、シャッターを押す時、そして現像されたその風景と再会する時。その時々の自分の感覚を味わうのが好きなのだ。そしてそれは、写真だけでなく、自分の為すこと、感じること、すべてのことに当てはまる…。
こう書くと、また随分とジコチュウなヤツって感じだ。ま、ジコチュウは否定しない。でももちろん、被写体への思い、思いやりなどがなければ写真なんて撮れない。それは大前提かな。それはそれとして…。

さて、こんなふうに最近思い出した感覚や夢から、なぜか、表題のコトバが頭に浮かんできた。

“思い どおりに なる”

いまは過去とともにあり、未来は、いま、ある。つまり、過去も現在も未来もみんないっしょ。
いま、ある。
そしてそれは、自分の“思い”、どおりに、なる。のだ、と思った。

うう〜ん、ヘンな説明だ。その前にこれは説明か?(^^;
まあ、こう思ってもなかなか現実的には厳しいよ、なんて思ってしまうのだが(だから厳しくなるのさ)(^^; 、でも、ま、そう思ったのダ。

写真

【牛頭天王の御神輿】
2004.6.10
昨夏、京都での『安倍晴明と陰陽道』展を見るために上洛した時はちょうど祇園祭の終わりの時期で、「八坂神社御旅所」周辺での御神輿のお練り、還幸祭を見ることができた。
それまで、祇園祭や御神輿への思い入れは特になかったのだが、御旅所での神妙な御祓いの儀式の様子や、そして御神輿を担ぐ兄ちゃんたちの熱い姿を間近で見たらもうヤラれてしまった(^^;
「御神輿」って私が勝手に思っていたのは、仲間意識の強い人達の盛り上がる場、みたいな感じであまり好きではなかったのだが、そんなことはなかった。イキがった兄ちゃんたちのカッコイイこと!あんなカッコイイ兄ちゃんたち(オジちゃんたちもネ)に担がれた牛頭天王は御満悦に違いない。

その牛頭天王(ごずてんのう)は八坂神社のご祭神。八坂神社は全国津々浦々にある。うちの実家の近くにもある。とはいえ、ご社殿はどこにでもある一般的な石造りのとても小さいお社で、お寺の隅の一角にポツンとある、といった状態だが、それでも毎年夏になると、「てんのうさま」と称して子供たちが担ぐ小さな御神輿が家々を練り歩く。その小さな御神輿に乗って「てんのうさま」が一軒一軒、祓い清めてくださるわけだ。何とも有り難いことである(って以前はそんなことには全然興味なかったが)。これは全国各地に残っている風習かも。

さて2年前の夏、いつものように「てんのうさま」があって、数日後、お寺にお墓参りに行った時、その「てんのうさま」の石のお社の扉が外れていたのに気付いた。でも何かいわれがあるのかもしれない、とそのままにしておいたのだが、その後数日経っても扉はそのままになっていた。それで「これはやはり閉め忘れだろう」と思い、扉を閉めておいた。
一年後、私は図らずも祇園祭の還幸祭を見、夕暮れ迫る八坂さんで粽(ちまき)をいただき、その粽はうちの玄関に飾られ、無病息災で一年が過ぎようとしている。
今年は京都の祇園祭に行く予定はないが、「てんのうさま」がうちにお出でになったら「ありがとうございました」と言っておこう。あ、「これからもよろしくネ♪」とも。

御神輿1 御神輿2 騎乗神官 八坂さんの入口


【恋文〜立花】
2004.2.29
ついにやってしまった。
本日ついに、岡野玲子さんにファンレターを出してしまったのだーーー!
(いや、大したことは何も書いてないんだけどね)
年初に何年振りかで描いた年賀状。元絵は1枚しか描かなかった。みんなにはそれをプリントしたのを送ったので、元絵のそのハガキは手元に残っていた。で、それを使ってお手紙を書いたのだ。夕方、郵便ポストに投げキッスとともに投函してから(え?)、メロディ誌を買ってきて『陰陽師』を読んだ…。ともあれ、ハァ〜。やっちゃったよ。

ところで、先日の藝大での雅楽演奏会から、ネットに繋ぎはしたものの、何故かどこのサイトも見ずに1週間が過ぎていた。
藝大での演奏会は素晴らしかった。その感想はまた別に書くとして、演奏会のあった同じ上野にある、国立博物館に2週(ホントは3週(^^;)続けて行った。
見たのは平常展示だけだったのだが、鎌倉時代の雅楽器が見られた他、北野天神絵巻の菅公に遭遇もしたし、件の「ホ」と「キ」も初めて見てきた。何れの日にもデジカメを持って行かなかったので写真をお見せできないのは残念。
あ、あと国宝になってる「栄花物語」本にも遭遇。“エーガ物語がええがなー諱@byまろ”のエーガ物語だす(おおっ、タイムリー♪)。

それからそれから、少し前にTさまの掲示板に書込みした「削り掛」もあった。展示のものはアイヌのもので「イナウ」と呼ばれるもの。紙の幣(ぬさ)が誕生する以前、ヤナギやヌルデなどの白木を削って美しく整え、そこに神様をお迎えするというもの。実物を初めて見たが、それが実に美しい。ただの木をあんな風に美しく変身させてしまう人間ってすごい。

さて、浦嶋伝説のある浦嶋神社(宇良神社)では毎年3月17日に「削り掛神事」というものがあり、神様の依り代として“たちばな”を供えるという。その“たちばな”とは、「コシャベラの木を削った削り掛を真綿でくるみ、チシャの木に吊るしたもの」(別冊太陽「白川静の世界」より)。
全体の形としては、細い幾つもの木の枝に繭玉のような、俵のようなものをたくさん吊るしてあって、「イナウ」と形状は一見したところ似てはいない。“たちばな”という名称も、昔は橘の木に吊るしていたから、と伝えているだけだ。しかし、橘の木をただ単にそこらに生えていたから、という理由では使わないだろう。
橘は常世のもの。神の依り代。

神の依り代としての“たちばな”。岡野さんのコメントにもあった“たちばな=りっか=はしら”…。
削り掛の姿は、あの“束ねられた柱”と同じだ。神の依り代と。
神の依り代。はしら。神。それは人間そのものでもある(のかも知れない)。

さて、今日は昼にはお雛様も飾った。お雛様のことなどすっかり忘れていたのだが、思い出してよかった。お雛様も年に一度は明るいところに出してあげないとね。でも3日が過ぎたらすぐにしまうぞ〜!



【大地】
2004.2.9
今、ちょっと郊外に住んでいるのだが、そこで気付いたことがある。
都心や住宅密集地で空を見る時は上を見る。でも田舎では普通に生活している目線の先に空がある。“日常生活のひとつとして”空があるのだ。当たり前のことなんだけどね。
下↓に載せた写真の光は素晴らしく美しいが、田舎にいるとよく、こういった自然の創り出す、まさに感動的な光景に出会うことができる。もちろん、都会でもビルの間や階上から見ることはできるし感動もするのだが、でも何かが違う。それは小さいことのように感じるけど、確かに何かが違う。何が違うのだろう…。

「大地だ。」
そう、大地だ。光が照らしている大地。雨が降り注ぐ大地。生命を生み出し、それが還っていく場所。水を含んだ土。大地。
都市に住む人は身近にそれがないので気付かない。田舎に住む人はあたりまえ過ぎてなかなかそれに気付かない。大地の持つ大きなちからに…。どんなに都市化が進み、コンクリートに覆われようとも、その下には必ず土がある。生命が育つための養分をたっぷり蓄えた土が。
最近、土の匂いを感じた?土に触ったのはいつ?
太陽の光を受け、水分を蓄えながらも大気に放出し、様々な微生物を住まわせ、あるいはそれらの恵みを受け、太古の昔から存在する大地。
その大地の持つちからを多くの人に、手で、足で、肌で、体の芯で、感じてほしい、と思う。



【光】
2004.2.3
今日は節分。近くの神社の追儺祭に行った帰り、それまで降っていた小雨も上がった西の空に太陽の光の筋が大きく見えた。その美しさに、畑中の道に車を停めてしばし眺める。

「すごい。きれい。。」

それ以上でもそれ以下でもない。他の言葉ではウソ臭く思えてしまう。
道を行く車の音は耳に聞こえるが、そこは静かだった。広い大地に差し込む幾つもの光の筋。それは緩やかな動きの中に少しずつ形を変えて行く…。
穏やかで、なのに圧倒的な光のちから。。
光I 光II 光III 光IV


【富岡鉄斎】
2004.1.26
富岡鉄斎。TV「何でも鑑定団」などで名前だけは知っていたが、全然興味はなかった。
が、ひょんなことから1月24日から埼玉県立近代美術館で始まった「富岡鉄斎展」を見てきた。
リンク先の数点の絵は所謂「鉄斎と言えば」というような絵かもしれない。私も「そういうものかな」という程度の気持ちで見に行ったのだが、展示してある数々の絵を見たらそんな気持ちはすっ飛んでいた。面白い!
筆の運びや間の取り方、表情や仕草に現われる、描く人鉄斎の豊かな感情。そしてそれらを一層際立たせる「賛」。

富岡鉄斎は「文人画家」であり、今回の「富岡鉄斎展」中の解説文にも文人画家・鉄斎の言葉がいくつも載せられていた。「自分は本来儒学者であって、絵描きが本業ではない。だから私の絵を見るには、まず賛を読んでくれ」「文人たるもの万巻の書を読み、万里の道を往かねばならない」「決して意味のないものは描いていない」等々。
鉄斎のことを私がここであれこれ言うには私には知識が無さ過ぎるので、布施美術館新見美術館のHPに書かれている文章を参照されたし。今回の展覧会にもこれらと同じことが書かれていたので良い参考になると思う。

展示品の中には「東方朔図」もあり。なんとも「いい」顔をしている(「スゴい」顔とも言えるかも知れないが…)。仙界の桃を盗んで800歳まで生き、宮中でも自由奔放に生きたような人だから、爪は伸び、口元はカカカと笑っていても何も不思議ではないか(^^;。
無知な私は知らなかったのだが、朔クンは結構有名なのだね。月僊の描いた『東方朔図』や、朔クンが語った仙境の話を綴った『十洲記』を紹介しているページ、などなど、ネット上にもたくさんの情報がある。浮世絵(このリンクページの一番下の二つ)にも出てくるし(しかも浦島太郎とともに)、能にも「東方朔」という演目がある!知らなかった…。能の中ではマジメな朔クンなのだろうか…。一度見てみたい。

他には、広隆寺にその像があるという機織の二人の女神の姿を描いたもの(元を見たい!)や小篆書での賛(岩上松)の入った軸、扇面の絵など、興味を引くもの多数。
感性の赴くままに描く絵、しかとした学・見聞に元付いた絵。どちらが勝るというものではない。ただ、随分と長い間、表面的な観賞眼のみに頼っていた自分に気付かされた鉄斎展であったようだ。




【直角三角形】
2003.12.26
「うわお!すごーい!」
と叫んでしまったのは一昨日の朝。庭の水溜りに張った氷の模様が見事な直角三角形になっていたのであ〜る。
氷の模様って面白い。でもこんなのは初めて見た。
私が数学の先生だったら、この氷の写真を使って「ハイ、ここは直角。ここは30度。ではここの角度は何度?」な〜んて授業をしてあげるのにな。(これは“算数”の問題か?)

自然の持つ美しさ、不思議なチカラ、それは毎日の生活の中に溢れている。それに気付くか気付かないかだけ。
でもおんなじものを見ても、気付いた人それぞれに、それぞれの美しさ、チカラとして映る。隣の人と100%同じに感じるってことは有り得ないだろう。この生きてる身体を持っている限りは。
あ、でも生命体だけになった時、同じものが同じように感じるかどうかは経験したことないから私には分からないけどネ。
氷の直角三角形


【七五三】
2003.11.15
今日は七五三の日。
私が七五三のお祝いに着物を着せてもらい、“村の鎮守の八幡さま”にお参りに行ったのはもうかれこれン十年前…。
先日の明治神宮にも着飾った女の子や男の子を連れた、これまたおめかししたご両親ご家族をたくさん見かけた。日本は平和で贅沢だなぁとも思えるが、子供の健やかな成長を願う心は、基本的なところではいつの時代、どんな場所でも変わりはないと思う。

今年の夏、箪笥の中を整理していたら七五三用と思われる扇子が出てきた。扇子だけが何でそんなところにあったのか分からないが、これを見つけた当時、ちょうど月刊メロディ誌の岡野『陰陽師』で以下の言葉が文中にあった。

“唐の国の古の人々は男子が生まれると魂振りのために璋(たま)を持たせ、女子が生まれると陰の気を受けさせるために瓦(いとまき)を持たせた。「弄璋」(ろうしょう)「弄瓦」(ろうが)と言った。”

で、その小さな扇子にも“いとまき”らしい図柄が描かれていた。
扇子の左下、宝珠や宝袋とともに描かれている四角いやつ。いとまきを上から見た形。(でもこれ、上記引用文に書かれたようなことを知らないと何が描かれているのか見当も付かないかもね)

七五三用の扇子の柄を気にしたことなんてなかったのだが、合理的で見た目ばかりを気に掛ける現代人向けのものにでも、伝えられるべきところにはちゃんと伝えてくれている人がいるのだなぁ、としみじみ感心したのであった。

扇子 扇子拡大
扇子 部分拡大



【夢】
2003.11.9
今朝方見た夢。

元恋人や知り合い達がロサンジェルス行きの飛行機を待っている場所(夢なので普通の空港とは全然違う雰囲気)の庭で、私は空を見上げた。それは夜で、星空がまるく上の方に見える。見つめていると円い星空の奥にさらに深く美しい星空が見えてくる。深い紫色の透明な星空。
眺めているととても良い気持になってゆく…。

とても気持のいい夢。
そういえば今日は「ハーモニック・コンコーダンス」と呼ばれる、太陽系の天体が六芒星を作り出す日だった、と午後になり気付く。なんでも日本時間で午前10時12分42秒がその瞬間だったそうで(^^;、その瞬間は私は家事にいそしんでいたので逃したが(というより午後になってその時間を知った。特に思い入れがあったわけでもない)、そんな日に星空の夢を見れたということは、私の純粋な感覚も少しは生き残っているのだ♪と考えていいのかもしれない(っつーか、そういうことにしておこうっと)。(^^;




【緑色】
2003.10.23
一年ほど前、実家の裏山で半分土に埋もれた緑色の小さなビー玉を拾った。普通のビー玉よりひとまわり小さい。水で洗うと、透き通った緑色がとても美しく、見ていると懐かしいような穏やかな気持になる。小さなエメラルドグリーン。
子供の頃、こんな風に透き通った色や模様の入ったビー玉などをよく集めていた。きっとこれも、私か姉妹か、それとも先祖の誰かが集めていたものかもしれない。私はそれがなぜかとても気に入って、それからずっと部屋の棚や机の上に置いている。

この前の岡野さんのコメント中に“緑色”という言葉が出てきた。コメントを読んだ時、その“緑色”とこのビー玉の緑色が私の中で反応してしまった(と言っても緑色の光を見たとかそーゆーことではありません。普通の脳で良かったワ)。
コメントには信太の森のこととかもいろいろ書いてあって、何だか「いてもたってもいられなくなって(なんでやねん)」某サイトの管理をされてる方に急にメールを出したくなったりして(メール内容は緑色とは全く関係ないことだったが)。

まあ、だからビー玉がどうこうというわけではないのだが、今夜、ある画像をデスクトップに設定しようとしてクリックしたら、その画像とは全く関係ない色が設定されてしまった。
それは何とも明るくてきれいなエメラルドグリーン(若草色)…。

しかし上には若草色と書いたが、バスクリン色と言っても過言ではない(^^;。自分では絶対設定しない色だ、、、
「でもま、しばらくはいいか」ってことで…。
机上の様子 緑玉 青玉 緑玉
左端が件の緑色のビー玉。定位置。
隣はそのビー玉単体の写真。
小さめのビー玉。
右二つのビー玉(ラムネ色と混合色)も
どこかで拾ったもの。



【月と火星と五芒星】
2003.8.8
 昨夜なかなか寝付けず、でも今夜はTVって感じじゃないなと思い(寝付けない時、「まったくもー」と思いながら見るあてもない深夜のTVを付けると、思いがけず知り合いの方がチラッと出ていたり(有名人では全くない)、キトラ古墳について出演された岡野さんの番組をやっていたりということがあったのだ)、ふと窓の外を眺めると薄い雲の中に月と火星の姿が見えた。

 昨日はいつもとは違う向きで寝ていたのだが、寝転んだ私の足元には大きな赤い火星、そして右肩越しに上弦を迎えた黄色い月。「うん、なかなかイイ感じ♪」と悦に入って寝ようとしたがまだ寝られない。月と火星を時々見ながら寝返りを打つうち、月は次第に窓の向かいの小山の上に沈む様子。「私が寝る前に沈んじゃうのね〜、つまんない」なんて思っていたら、ハッと気づいた。
 さっきまで薄ぼんやりした月としか見られていなかった黄色いそれは、影絵となった向かいの小山のちょうど天辺に沈んでいくのだ。ほんとにちょうどてっぺんに…。
 しずしずと木の間隠れに沈んでいく月の両脇には、まるでこの時のために存在したかのような黒々とした二本の杉のシルエットがくっきりと立っている。

 それは静かで、ほんとうに美しい光景だった。ある方の言葉を借りれば、「これが見せたかったのね」と思ってしまうような…。

 * * *

 昨日の昼間、NHKの放送中、ニュースか何かの番組で、右下に白ラインの“☆”マークが出たのを見た。それは何の脈絡もなく、左上の簡単な字幕スーパーと一緒に。字幕より先に消えたけどね。見た人いるかな。
 で今日は、今までずっと使ってた塩を入れるビンのプラスチック製の蓋の裏側に点々とある“☆”マークを発見。「おおっ、ここにも“☆”かいな!」

 6万年に一度という近接火星に触れて“天文ショージョ”であった昔を思い出したら星がたくさん見えだした。巨大な台風が接近している今夜(既に遭遇済みの方、被害の少ないことを祈ります)、台風の雲も上から見れば星の集まる銀河と同じ形をしていたのだと、今、気づいたのだった。




【作家】
2003.4.11
 昨日、東京は日本橋タカシマヤにて開催中の「鉄腕アトム・パーフェクトサーチ展」&「手塚治虫トリビュート展」に行った。でも一番の目的は「トリビュート展」に出展されている岡野玲子さんの描き下ろしイラストを見ること。

 日本橋へ行くのは久し振り。地下鉄日本橋駅を出て、今は首都高の狭い高架下に居場所を余儀なくされている日本橋を渡る(この時点で「おや?」と気付く人は交通に詳しい人。が、今はそれには触れずに先に進むことに)。
 帝都守護の目的のために日本橋の橋梁から鋭い眼光で闇を見据えている翼をもったドラゴンを見上げ、カメラに収める。夕暮れ時の深くかがやく青に牙を浮き立たせるその姿は正に『帝都物語』の中の姿そのままだ。が、しかし、夕闇が濃くなり、龍をライトアップする光が点灯されると同時にその勇ましい姿はただの置物となり下がってしまう。
 ここ数年、都市のあちこちで文化財などをライトアップする試みがなされているが、日中とはまた違った、えもいわれぬ重厚な、または幽玄な姿を映し出す成功例もある一方で、ただただ明るく照明を当てて「ライトアップしました」としか言いようのない失敗例もよく見かける。そして日本橋のドラゴンは間違いなく失敗例のひとつに数えられてしまうだろう。

 閑話休題。
 日本橋を渡り三越デパートへ。エレベーターで階上へ上がり、気づいた。「間違えた…。」
 展覧会は三越ではなく高島屋。日本橋TAKASHIMAYAなのであった。おバカな自分を笑いながら高島屋へ。
 「鉄腕アトムパーフェクトサーチ展(入場料大人800円:夕方6時以降は半額)」には手塚治虫の漫画原稿「アトム」「火の鳥」「ブラック・ジャック」などがあり、はじめて見る氏の原画にしばらくの間惹きこまれる。単行本を読んでいる時は特に思わなかったが、やはり上手い。緻密さ・大胆さ・画面構成の上手さ、やはり実物はすごい。

 会場を出たすぐのところに「手塚治虫トリビュート展」がある。こちらは入場料無料。
 岡野玲子さんのイラストは『妖魅変成夜話』タッチの墨絵版『ワンダースリー』。しかしその面々の手や口には「定規・コンパス・乳鉢」が(笑)。そしてバックは「鏡と月」。スバラシイ(大笑)!

 私は今回初めて岡野さんの肉筆画を見たのだが、上手い。やはりホンモノはすごかった。
 『妖魅…』を読んだとき、墨筆画に驚愕&大笑いしたものだが、そんなモノで漫画を描いちゃう岡野さんってやっぱフツーじゃない。で、今回のこれを見て今ごろになって思ったが、『鳥獣戯画』みたいだな、と。
 そこで思い出されたのが、NHK教育TV「日曜美術館」の中で昔、手塚治虫が「平安時代に実に活き活きとしたタッチ&表情で描かれた『鳥獣戯画』はすごい。あれはまさしく漫画ですよ。」と言っていたこと(少し前に「日曜美術館」の特集で見た)。
 何年頃の番組かはチェックしていないが、そんな手塚治虫氏とその息子さんの奥様となられた岡野玲子さんのふしぎな関係。すごいなぁ、とヘンな感心をしてしまった今日この頃なのであった。

日本橋のドラゴン


【竜巻】
2003.4.8
 久し振りに竜巻の夢を見た。
 昨夜の竜巻は3本だったかな。出来かけ〜、みたいなのもあったような。それらを見る私の目線は、低い山の頂上くらいだったか。そこにはなぜかへんな下宿屋があり、その木造家屋の下宿屋の2階への階段を上ったあたりで私は見ていた。見晴らし抜群。天から降りる3本の竜巻。

 竜巻は私を魅了する。アメリカの竜巻の映像とか迫力が凄いから見入ってしまうが、見るだけならいいけどあれは被害も大きいし、時には人命も失われるので、好きと言うのは気が引ける。

 でも夢の中ならOK。細長い何本もの竜巻が天雲と大地をつなぎ動く様は、私に何とも形容し難い、ある種、幸福感さえ呼び起こす。

 夢の話をしだすとキリがないし、夢の話は人それぞれの思いがあるのでここまでにする。
 ただ、竜巻の夢ってとても好き、と言いたいだけなのだ。




【2月16日の月】
2003.4.8
 「OGDOAD」に岡野玲子さんが書かれている2月16日の月。よく覚えている。アップされた記事を読んで、ああ、あの月だ、と思った。
 昼には雪混じりの雨が降っていたのが夜になって止み、夜道を歩く中、空を見上げると雨雲の切れ目から青白く光る月があたりを照らしている。青い月に照らされたその夜の空気はとても静寂で、透きとおっていた。

 とても久し振りなその空気、感覚――。目を閉じて、今こうしてあの月を思い起こすと、あの時の静寂な空気に、一時、包まれる。




【阿倍野区製造】
2003.2.14
東京四ツ谷に「坂本屋」という和菓子店がある。何の変哲もない街の和菓子屋さんなのだが、あるきっかけで数年前から時々そこでカステラを買い求めるようになった。

昨年の暮れ、実家への手土産にと、いつものようにカステラを買いに行ったのだが、その時何となく店先にあった手焼きせんべいに惹かれて1枚だけ買った。
実家に近づくにつれて乗客も減り、まわりに人も居なくなったので私はそのせんべいをボックス席の中で食べ始めた。美味しい。ボリボリと食べながら、包んであった袋を何気なく見てみると、それは「坂本屋」のものではなく、大阪で作られたのものだった。

「な〜んだ」と少しがっかりしながら製造社名をよく見ると、そのせんべいの袋には何と“大阪市阿倍野区”の文字が!

大阪市阿倍野区三明町2-11-11、有限会社「柏屋」。調べてみたら安倍晴明神社とは約1キロくらいの距離。
ひょんなところで“阿倍野”の文字を見るなんて、2003年はいいことあるかも!って思った年の暮れでありました。

※ちなみにそのせんべいの袋は今も手元に残っています(^^;)。



【丹生】
2003.2.7
2003年しょっぱな、正確には2002年もあと10分余りという時間だったが、その村の名前を私は再び耳にした。
我が家ではその時いつものようにNHKの『ゆく年くる年』を見ていた。番組の冒頭、映し出された場所に私はハッとした。その場所とは岐阜県丹生川村。
“丹生川村”――2003年の新しい年をこれから迎えようとする時、その村の名前を最初に耳にするとは。

私が“丹生川村”の名前を知ったのは2001年の9月。出雲から松江を経由して広島へ向かう満員の特急列車の中で、隣に座った大山登山帰りのおばさまが“丹生川村”在住だったのだ(その方のお名前は“谷口さん”(^^)。
“にゅうかわ”なんて言葉を初めて聞いた私は思わず「いったいどんな漢字を書くのですか?」と尋ねた。

その“丹生”の文字を再び目にしたのは、そう、『陰陽師』白比丘尼の話の中でである。「丹生川上、ふ〜ん、にゅうかわかみ…。ん?待てよ、どっかで聞いたことあるぞ…。」
ヘンな読み方、漢字は忘れもしない、あの“丹生川村”の「丹生」だ。
「へー、おもしろーい!」
しかしその後「丹生」「丹生都比賣命」に関する様々なことをネットで調べたが、それらの中に丹生川村は残念ながら出てこない。

でも今年は京都の晴明神社では晴明公鎮座一千年祭もあることだし、映画『陰陽師2』も封切りになることだし、漫画『陰陽師』もいよいよ第十二巻めに突入したことだし、などなど様々なものがまた交差する年でもあるので、2003年を迎えるにあたって“丹生川村”の名前が再び浮上してきたのは、私にとって必然的なのかもしれない。ね。

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