『安倍晴明と陰陽道展』上洛記〜神護寺〜


【高雄山 神護寺】
高雄に行くということは当日の朝決めた。24日はどこに行くか、全く予定を立てていなかったのだが、朝、シーワシーワとクマゼミの鳴く鴨川べりを散歩しながら決めた。「今日は高雄だ。」

バスは北山杉の美林がちらほら見え始める山道をゆく。「高雄」というバス停で降りる。
神護寺に向かう前にバス停傍にある清潔な公衆トイレに寄ったのだが、ハッと気付いた時、腕につけていた、木でできた小さな珠を幾重にも無数に配した腕輪が落ちて水とともに流されてしまっていた。「え?何で?」

さっきまで手元にあったものがほんの数秒の間に無くなっているというのは何だか奇妙な気持ちが残るものだなぁ、などとブツブツ言いながら、でも流れちゃったものは仕方ないということで歩を進めることにする。

そこからは徒歩で谷を越えて石段の続く山道を登るのだが、夏の陽射しに透ける緑の紅葉や、木の幹や岩を這う豆蔦(マメヅタ)が美しい。その美しさは山門を下から望む石段の途中で一層引き立つ(PR写真で必ず見かけますね、この構図。でもマジで美しいです)。

山門に着いた時、冴え渡るとても美しい鳥の声が聞こえてきた。受付の方に何という鳥か尋ねたら「ホトトギスではないでしょうか」と仰っていた。でもホトトギスは「特許許可局」ではなかったか?と思ったのだが、記憶が定かではないし、そうかもしれない、とあやふやなままそこは過ぎたのだが、後日ネットで調べてみたらあれはホトトギスのメスの鳴き声らしいことが分かった。(ホトトギスのメスの鳴き声、とても美しいです。以下のページの「森のコンサート」“ホトトギス”をクリックすると「許可局」と一緒ですが鳴き声が聞けます。http://www.asahi-net.or.jp/~yi2y-wd/

まずは清麻呂公霊廟に参拝。流三つ巴の瓦。左手奥に鐘楼。更に奥に清麻呂公のお墓があるというので薄暗い細い山道をコワゴワ歩いていく。

昼とはいえ昨日の雨水がちょろちょろ流れる、木の生い茂った山の中、しかも私の他に人影はない。ヘビとかハチとか、クマなんて出てきちゃったらどうしよ〜、などと怯える心を紛らすために大きな声で独り言を言いながら進んでいく。と、ぬかるんだ山道がその先の僅かだけ、短い緑の草に覆われた心地良さそうな明るい道になっている。
ホッと緊張が解けたその時だった。その草地の上を、細い黒いものが、にゅるっと動いた。
「ギャ〜〜ッ!」
瞬間的に身を翻し、一目散に金堂の横まで走った。はぁはぁ…。

蛇は特に好きではないが嫌いというわけでもない。自宅付近に現れるアオダイショウなどには、家人に蛇嫌いも居るので「人の目にするところに来てはダメ」などと諭しては見逃がすし、島根の里山で初めて見たシマヘビにはその美しさにバスが来るのも忘れて見入ってしまったり、といった具合なのだが、なぜかねぇ、この時は心が非常にビビッている状態だったので「あら、細くて黒い綺麗な蛇だわ」などと思う心は微塵も生まれなかった。先の腕輪喪失のこともあったし…。

というわけで、和気清麻呂公の墓参はできなかった。このことをある掲示板に「止めが入ったので」と書いたが、それがこれである。

人心地のする金堂にホッとして、畳に座ってゆっくりお参りをしてから、本当は竜王堂やかわらけ投げの場所まで行ってみたかったのだが、その時はとてもじゃないが細い山道を通るなんて心境にはなれなかったので、そこで下山することにした。

山門に近づいて行った時、またあの鳥の鳴き声が聞こえてきた。この美しい鳥の声は何かを意味しているのだろうか…。清麻呂公のお墓には参れなかったのに…。

こんな風にちょうどその場所で鳥の美しい囀り(さえずり)に迎えられたり、虹を見たりすると、何か良いことがあるかも、と思ってしまう。実際、そういうことがいくつかあった。ただそれは私の場合、あくまでも予兆であって、これから起こることが必ず上手くいくという確証はない。良い兆しですよ、と言われはするが、そこから先は自分次第なのだ。

…と書いたが、このあたりのことは全くの素人であって、心理学的に見れば、鳥の美しい囀りを聞いて心が明るくなる → 明るい心がその後の活動に良い効果を与える、という、至極単純な構図であるのかも知れないが…。

帰り際、山門横の屋根瓦にも桃を発見。受付の人に聞こうと思ったのだが、先の蛇の話やら何やらをして、うっかり聞くのを忘れてしまった。
神護寺はもともと平安京造営の最高責任者(造宮大夫)であった清麻呂公が建てた愛宕五坊のひとつであり、国家鎮護の目的であったようだ(が、詳しいことはまだ調査中)。和気氏はその後、比叡山の最澄や空海を神護寺に招いたりもしており、寺はなかなかの活況を呈していたようだ。

ただ、桃瓦はいつからそこにあったか、となると、それほど古くはないのでは?と思える(が、これも調査中。ご存知の方はぜひご一報ください)。

清麻呂公の墓参はできなかったが、高雄山神護寺にて「破敵」「守護」の二腰の霊剣が修理されたことは『中右記』『大刀契事』にも記されている。晴明がどのように三皇五帝祭に関わったか、それについては予測の域を出ないとしても、神護寺のその場所で執り行われた祭を想像するのもまた一興である。

(因みに、金堂の建つ場所の階段から五大堂、毘沙門堂を俯瞰する眺めは11巻で岡野さんが描かれた画と一緒♪ 写真はありませんが(^^;)
(2003.7.24訪/9.3記)


清麻呂公のお墓へ参れなかった理由は何だろう、ということが頭の隅に小さく残った。その後、それとは関係なく神霊とかそれらの意識界などについていろいろなものを読んでいるうちに、「もしかしたらこういうことかなぁ」と思うようになってきた。
それは、「私の霊的(?)意識(意識のレベルと言っていいのだろうか)は清麻呂公の墓参などするにはまだまだ至っていなかったからなのかもしれない」ということ。だから「来るな」と言われたのかも。

ただ、私は自分についていろいろな場面で言っているが、私はそれら目に見えないものや世界をはっきり見たり感じたりすることは残念ながら出来ない。それにそれらの世界について熟知している、または深く研究しているわけでもないので、上述の「神霊」とか「意識界」などという言葉やそれらの考え方自体も、今はまだ単に入知恵的に使っているだけかもしれない、ということを、これをお読みの皆様にはご承知おき頂きたいと思います(^^;

また、BBSにも書いたことがありますが、清麻呂公の墓前まで行かれるご予定の方は、物見遊山ではなく、“墓前に参る”ということをしっかり心に留めて行かれるべきかと思います。私にはその心が少々足りなかったかもしれない…、とも後で思いました。     
(2003.9.20追記)

今更ながらの追記です。
実は上の記事を書いてすぐの頃、Aちゃん(見たり聞いたり出来る方)から「う〜ん、清麻呂公は喜んでたみたいだよ〜」というお言葉をいただいていたのです。それを聞いて「そっか〜、ダメ!って言ってたわけじゃないんだ〜」とホッとしたのです。

私は当時はほんっとに何の知識もなかったので、蛇が御使いだなんて全然知らず・・。今だったら、この状況に出くわしても慌てふためくことも無く、落ち着いた心で行動できるんですけどね。

ま、とにかく、そういうことです。 いろんな状況によって、同じ蛇が出てきても意味は様々なのでしょうが、大切なのは自分の直感、心で感じ取ること。
既成概念に捉われず、また自分勝手な願望にも捉われずに、そして、怖れに惑わされることなく、ただ素直に感じ取ること。

それが何よりも一番大切なこと、ですね。     
(2008.7.19追々記)

流三つ巴 山門への石段 参道入口 神護寺の桃
山門
山門横の屋根上の桃。↑
年季入ってます。

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