大江戸北斗七星ツアー〜3

【水稲荷神社】
水稲荷神社
片耳狐

稲荷紋
        石灯籠の紋
富塚〜稲荷
富塚〜水神社

甘泉園
  所在地:新宿区西早稲田3−5−43
   祭神:倉稲魂大神(ウカノミタマノオオカミ)
       佐田彦大神(サダヒコノオオカミ)
       大宮姫大神(オオミヤヒメノオオカミ)
   境内社:浅間神社、三島神社、水神社、大国社、
        金刀平社、高木神社、北野神社
 由緒によると、「天慶4年(941年)、鎮守府将軍だった藤原秀郷が旧社地(現早稲田大学9号館法商研究棟)の“富塚”の上に稲荷大神を勧請した」とあり、「その後、元禄15年(1702年)に大椋(おおむく)の下に霊泉が湧出し、「水稲荷」と称されるようになるが、昭和38年、早稲田大学との土地交換により現在地に遷座。現在地は清水徳川家の旧跡で、湧泉を持つ“甘泉園”の一部である」
 天慶4年は秀郷が将門を討伐した翌年。秀郷は乱鎮圧の功により、下野守の他、武蔵守の役も兼任。その時に勧請したことになる。

 もともとこの地は徳川御三卿のひとつ、清水家の下屋敷があったところだそうだが、明治30年頃から昭和13年まで、早稲田大学に移譲されるまで相馬家の所有となっていたらしい。
 相馬家は平将門の血を引く家系。秀郷が勧請した稲荷神社を相馬家が所有するとは一体…?鎧神社でも将門と秀郷双方の言い伝えがあったが、遠く時代を経ても両者の関わりは続くのか。血の奥底に流れる何かがそうさせるのか…。

 さて、秀郷との関連は見つけたものの、私には将門公との繋がりが分からなかったのだが、後で読んだ加門七海著『平将門魔方陣』(単行本時タイトルは『平将門は神になれたか』)によると、ここは将門調伏に関係するらしい。それ以上のことは残念ながら未だ分からない。

 本殿裏手に“富塚”があり、その上に小さな祠がある。稲荷神社と水神社、他にもいくつか小さな祠がある。水神社と書かれた板看板の元からは湧水なのだろうか、水が流れ出ていた。この裏手の富塚は私にとって何だかとても心安らぐ場所だった。

 水稲荷神社境内を出た横に入口のある「甘泉園」。池の端の方は水が澄んでいる。出口(入口)の由緒書きを見ると、園の名前はその名の通り、昔、茶の湯に適した美味い水が湧いていたからだそうだが、現在も泉が湧いているかどうかはわからない。ともあれ、ただただ濁っている池とは違い、澄んだ水面を見るだけでこちらの心も澄んでくる。
 次の築土八幡神社へは早稲田大学構内を通って行ったのだが、その途中、こんな立看板が。このツアーにはピッタリ(笑)→ 歴史セミナー看板
(2003.3.21訪)

■Home

★序

★1 鬼王稲荷神社

★2 鎧神社

★4 穴八幡〜浅草

★終わりに

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